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一九四四年生まれの男性G氏は、四十八歳のとき、S字状結腸がんと診断された。発見のきっかけは、旅先のホテルでの下血だ。
「おそらく以前から下血はあったと思います。ただ、我が家に二つあるトイいは便器が焦げ茶色と黒色なんです。旅先のホテルは真っ白な便器だった。それで便についた真っ赤な血がわかったんです。これはやぽいと思い、がんの検査をすぐに受けました」
その後の大腸内視鏡検査の結果、S字状結腸部分に「二十一ミリ×十八ミリ」のがんが発見された。手術から十一年が過ぎ、がんは完全に治ったという。
「医者の話によると、発見があと半年遅れたらダメだった。がんがリンパに飛んで私の命はもうなかったかもしれません」
早期発見のサインを知り、医者にかかるかどうか。それが大腸がん患者二人の明暗を分けたのだ。次に、同年代の胃がん患者二人の実話を明かしてみよう。
胃がんから生還する人、できない人
私の手元に、一通の「成人病予防健診結果通知表」がある。日付は平成九(一九九七)年十二月某日。その主、T氏は当時四十八歳。問題の健診結果通知表には、担当医の指示として次のような記述が見える。
*あなたの自己申告によりますと、最近の体重減少が著明とのことです。食事制限されているのでなければ、今回の検査で原因が見つからなくても医師に相談してください。
*高血圧を認めます。医師に血圧の管理を受けてください。
*胃X線検査において、胃角部後壁に隆起がみられます。この際ぜひ内科受診の上、精密検査を受けてください。早期に病気をみつけるには、この段階での検査が必要です
この健診結果通知表を受け取ったとき、当のT氏はどう思ったか。それを確認しようにも彼はもうこの世にいない。先の成人病健診から二年六ヵ月後、進行胃がんのため五十歳で亡くなったのだ。
「この検査結果を、主人は私に見せてくれなかったんです。ベスト体重七十四キロが七キロも減って六十七キロでしたから……そのときお医者さんにかかっていればと思うと本当に残念でなりません」
と妻Sさんは言う。それはそうかもしれない。胃X線写真に写った「胃角部後壁の隆起」は胃がんの危険サインだ。それを知っていたら彼のその後の運命は変わっていたはずだ。だが実際には仕事の忙しさに追われ、一年半後の一九九九年五月ごろ、胃がんの自覚症状を覚えたときは完全な手遅れだった。それから死が訪れるまでの一年間、妻Sさんとともにがんを生きたT氏の懸命な姿は第6章で紹介するが、いずれにせよ、このT氏の悲劇は、成人病予防健診の意味と同時に、精密検査の大切さを教えていた。
もう一人の胃がん体験者を紹介する。U氏は一九四八年生まれ。現在は、ある中堅計測機器メーカー勤務。四十六歳のとき胃がん手術を受けたが、その後の再発もない。彼のがん体験はどのようなものだったか。\
話は一九九四年九月までさかのぼる。その年、U氏は年に一度は必ず受ける人間ドックで胃のレントゲン検査(バリウムによる上部消化管X線撮影)の結果、胃がんの疑いを指摘された。U氏は当初、そんなはずはない、何かの間違いだろうと思った。十二指腸潰瘍の持病があり、悩まされていたからだ。
「胃の影は、十二指腸潰瘍の痕跡じやないんですか?」
「いや、潰瘍ではなさそうです。精密検査をしたほうがいいです」
それで人間ドックの診察は終わった。U氏は軽く聞き流し、一ヵ月ほど放っておいた。
先のK氏がそうだったように、まさか俺ががんになるわけがないという勝手な思いこみがめったのだ。それでも「精密検査」という医者の言葉がU氏の頭から離れなかったのぱ、父親と姉を手遅れのがんで失っていたからである。
十数年前に胃がんで死んだ父親の顔がふと頭をよぎる。また、六つ上の姉が手遅れの子宮がんで早死にしたときはくうちはがん家系だなと思ったものだ。その姉が死んだのは四十六歳のときで、今の自分と同じ年齢だ。がんになってたまるかという彼の強がりは、心の奥底に潜んだがんへの不安の裏返しと言えたかもしれない。
数週間後、地元では評判の胃腸科専門病院で胃カメラ検査をした。そこでもう一度「がんの疑いあり」と言われた瞬間、いよいよ俺にも順番が回ってきたかと観念せざるを得なかった。
人間ドックの担当医と胃腸専門病院の医者は「がんです」とは言わなかった。けれど十中八九、がんにちがいない。俺のがんは治るがんか、治らないがんか。そのとき、手術の上手なA医師の評判を耳にした。U氏は、〈この医者に診てもらおう〉と決めた。
それからの迅速な行動はやり手の営業マンらしかった。数日後、先の胃腸科病院からの紹介状(これを「診療情報提供書」と呼ぶ)と胃カメラ検査データを持ち、A医師の職場である病院の外科外来を直接訪ねたのだ。A医師ぱ、U氏の検査データを本人の前で確認した。
「はっきり言ってください、先生、私の病気は何ですか」
「あなたの病気は、胃がんです」
やっぱりそうだったか、とU氏は思った。
「私は、治りますか?」
と聞くと、A医師は胃がんの説明をはじめた。
「胃カメラの検査写真から判断すると、Uさんの胃がんは、早期がんのやや進行したものか、進行がんの早い段階か。その境目ぐらいです。このレベルで発見されたものなら治療は十分にできます」
「それを、本当に信じていいですか」
「ええ、信じていいです」
それで胸の奥にある不安が少し軽くなった。A医師は約一時間もかけて胃がんの話をしてくれた。
「胃がんは、放っておけば必ず死にいたる病気です。でも、がんイコール死というのは、身体の異常に気づいた時点で手術もできないほど進行している人の話です。Uさんの場合、大丈夫です。ただし、がんと闘うのはあなたです。Uさん、頑張るのはあなたです
「頑張ります。先生、よろしくお願いします」
A医師の白い指先に、彼の目が止まった。小柄なわりに長目で器用そうな指だ。この指に自分の命をまかせれば、俺のがんは本当に治るかもしれない。
同年十二月、U氏のがん手術は約八時間かかった。年の暮れには退院。翌年二月には仕事に完全復帰した。
それから一年半が経過した九六年六月、私がU氏を取材した場所ぱ地元のすし屋であっ
た。同年生まれとわかり、話ぱ弾んだ。彼はビールを美味そうに口に運ぶ。がんの手術で胃の五分の四を失ったからだなのに、なぜか食欲が増して酒量も増え、コーヒーを一日五杯。若い頃は好きでなかった肉料理にも目がなくなったそうだ。
「ただね、胃が小さくなった分、腹に力が入らない。だからドライバーの飛距離が十五ヤードぐらい短くなった。もう一つ、カラオケでは息が続かず十八番の演歌を歌えない。胃がんの後遺症です」
やり手の営業部長は、がんを語らせても話がうまかった。
『日本人のがん』(金原出版)の著者で、東京農業大学の渡漫昌教授(前国立がんセンター情報)によれば、がんにかかる確率は高齢になるほど高くなり、一般的には、「年齢の四
乗」に比例して増える。
特に、男性の四十歳代は三十歳代の二十倍以上も増える食道がんをトップに、騨臓がんは九倍、大腸がんと肝臓がんが八倍、胃がんと肺がんが五倍。また、女性では乳がんが三十歳代になると二十歳代の十四倍、子宮がんが五倍と爆発的に増加する。そのため、男性は四十歳、女性は三十歳以降を「がん年齢」と呼ぶ。
ちなみに、男性に多いがんでは、肺がん、胃がん、大腸がん(結腸がんと直腸がん)、肝臓がん、豚臓がん。女性に多いがんでは、胃がん、乳がん、子宮がん、大腸がん、肺がん、肝臓がん。
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